2014/01/28
漱石の建築家志望
▼夏目漱石が一時期、建築家を目指していたことは意外と知られていない。東京大学予備門予科生だった学生時代、数学などを得意としていた漱石は、工科(工学部)へ進学し建築を学ぼうとした。その道に進んでいたら、明治の文豪は存在せず、日本文学の計り知れない損失になっていただろうが、その一方で、建築家・漱石の姿を見てみたかった気もする
▼漱石は後に「ピラミッドでも建てるようなつもりでいた」と、若者らしい建築家への夢を抱いていたことを述懐している。大正3年(1914)の東京高等工業学校での講演でも「立派な技術を持っていれば、変人でも頑固でも人が頼みにくる」と考えて建築家を志望した経緯を語り、「機械よりも巧妙に働く、腕」に敬意を表している
▼ただし漱石のイメージした建築家とは、ピラミッドを例に引いたことからして、単に重要な建築物を設計施工するだけでなく、様々な土木技術や軍事技術まで行う多芸多才な土木・建築技術者像だったのではないかと思われる。言い換えれば、経済的に安定し、社会に有用で、芸術家として自己実現できる職業として見ていたのかもしれない
▼漱石は結局、友人の哲学青年、米山保三郎に「日本でセントポール大聖堂のような建築ははやらない。つまらない家を建てるより、文学者になれ」と諭されて、建築家志望を思いとどまり、英文学を専攻することになる。文学者という選択をしたことについては「分かりません。おそらく死ぬまでわからないでしょう」と、先の講演の中で語っている
▼いずれにせよ、漱石の科学や技術に対する造詣は深く、明治以降の文学者の中では、ずば抜けて理工学的理解力に秀でていた。理工科系の研究者やエンジニアにも熱烈な漱石ファンが多く、理工科系の研究者が論じる漱石論が少なくないことも、おのずと頷ける気がする。代表作「坊ちゃん」では主人公を大の文学嫌いとし、逆に適役「赤シャツ」を帝大卒の数学教師として描いている。漱石の懐の深さを改めて思わずにはいられない。