2013/11/18
ノーベル賞
▼先月のノーベル賞ウイークは、日本人の受賞があるや否やで注目を集めた。とりわけ文学賞ではここ数年、村上春樹氏が有力候補と目され、ファンやマスコミを巻き込んで大変な盛り上がりを見せるが、今年も受賞はならなかった
▼受賞したのは、短編小説の名手として知られるカナダの女性作家、アリス・マンロー氏。人柄も作風も決して派手とはいえないが、2005年には「タイム」誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、「現代のチエーホフ」とも称される
▼小説好きの筆者としては、取り急ぎこの作家の作品を何か読んでみたいと思い、積読状態の本の中から、運よくこの作家の1篇を収めた短篇選集(新潮クレスト・ブックス)を見つけた。収録作は、選集の表題にもなっている「記憶に残っていること」。ノーベル賞選考委員会が「登場人物の心の動きを冷静にとらえ、日常的な出来事の本質を浮かび上がらせている」と評した通りの見事な出来栄えだった
▼主人公の既婚女性が若き日に経験した、半日にも満たない行きずりの恋を描いた物語だが、この経験がその後の彼女の人生においてどのような意味を持っていったか、そのへんの顛末が実にすばらしかった。小説のタイトルそのままの「記憶」に関する物語ともいえる。主人公はそのときの経験を「すべて記憶し、それによって心の中でもう一度体験し、それからずっとしまいこんでおく」、言い換えれば「きちんと並べて、すべてを宝物のように集めて片づけ、取っておく」ことにする。その結果、長い年月を経て彼女はその情事の相手を「日常の煙幕の中で見られるようになる」のである
▼ただしそこにはある種のオチがあり、主人公は後年、その情事の相手の死を知ったとき、胸の奥深くに封印してきた一つの〝警告〟の言葉を思い出すことになる。刻まれた言葉は、たとえ封印されていても、いつかはふと表に出てくる、人生にはそういう瞬間があるのだということを、作家マンローはこの短編で言いたかったに違いない。