コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2013/04/15

花といえば「桜」

▼この冬の寒さからして、桜がこれほど足早に咲き散ろうとは予想もしなかった。春先の急激な気温上昇に、春の嵐ともいえる風雨が加わり、それでなくても短い花の命を縮めた気がしてならない
▼先週は街のあちこちで保護者に手を引かれる新入生の初々しい姿を見かけたが、桜の似合うこの季節に、肝心の花がないのは少々さびしい。逆に、桜の咲き終えた門出の年として記憶には残るかもしれない
▼こと日本人にとっては特別な「桜」。過ぎ去った後ろ姿を惜しむ心持ちもあって、若い頃に読んだ「桜の精神史」(牧野和春著)という本を繰ってみた。「サクラ、さくら、桜。どのように書いてみても美しい」との書き出しからして情緒的だが、ことほどさように桜は日本人に愛されてきた。平安時代に国風文化が広がる頃から花の代名詞になったというから、日本人の桜への愛着は古くて長い。実際、「古今和歌集」以来、花といえば「桜」を指すようになった
▼桜の語源は諸説あるが、その一つに、「春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)」から来ているという説がある。そこには稲の実りへの切なる願いがあったに違いない。その願いを日本の山野に自生していた桜が一身に引き受けたとすれば、日本人がいまもこうして桜を愛する心の内には、遠い祖先の思いが連綿と続いているようにも見える
▼また一説には、富士の頂から種をまいて花を咲かせたコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)の「さくや」から来ているともされる。古語におけるラ行は容易にヤ行に変化することもあり、サクヤヒメは「木の花(桜)のように美しい女神」とされてきた。同時に、美人薄命というのか、神話に登場するサクヤヒメの運命には、姉のイワナガヒメとの対比において常にはかなさが付きまとう
▼人の命と同様、散り、消えゆくのが花の定めだが、そのはかなさが、せつなさ、ものの哀れ、潔さともなって、われわれ日本人の心をとらえて離さない。その象徴が、ほかならぬ桜なのである。

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