コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2024/03/22

浮世絵師になったサムライ

▼「サムライ、浮世絵師になる!」というキャッチコピーに惹かれて、今月3日まで千葉市美術館で開かれていた「鳥文斎栄之展」に足を運んだ。今の日本で鳥文斎栄之(1756~1829)の名はあまり知られていないが、当時は美人画で喜多川歌麿と人気を二分した浮世絵師と聞いて、驚いた。展覧会も日本で初めてという
▼明治時代に多くの作品が海外に流出したことが、その存在を忘れさせる要因となったようで、今回の展覧会でもボストン美術館や大英博物館からの里帰り品が多く見られ、初期から晩年までの錦絵や肉筆画の名品が集まった
▼キャッチコピーにあるように、栄之は旗本出身という異色の出自をもち、美人画のみならず幅広い画題で人気を博した。浮世絵の黄金期と言われる天明~寛政期(1781~1801)を中心に活躍した
▼将軍徳川家治(1737~86)の御小納戸役として「絵具方」という役目を務めたが、家治が亡くなると、本格的な浮世絵師として武士の身分を離れた
▼当時は錦絵の華やかな転換期にあったが、栄之も数多くの錦絵を製作。十二頭身美人とも言える、長身で楚々とした独特の美人画様式を確立し、豪華な続絵を手掛けた。寛政10年(1798)頃からは、肉筆画を主力として活躍した
▼寛政12年(1800)頃には、御桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたとのエピソードもあり、栄之の家柄ゆえか、特に上流階級や知識人などから愛され、名声を得ていたことが知られる
▼武家出身で将軍に仕え、町人中心の錦絵の出版界へ躍り出た経歴は、当時にしては変わり種でもあった。栄之自身かなりの教養人だったのだろう、その絵には現代のわれわれもよく知る物語が隠されており、「源氏物語」など古典の主題を江戸の風俗に置き換えた「やつし絵」も多く残している
▼ちなみに来年のNHK大河ドラマは、歌麿や東洲斎写楽の浮世絵を出版した蔦谷重三郎(1750~97)が主人公。この中で、栄之がどう描かれるのかも注目だ。

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