コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2024/03/05

「世界のオザワ」逝く

▼国際的に活躍した指揮者の小澤征爾さんの訃報が先月、世界を駆け巡った。世界の楽壇の第一線で戦後日本のクラシック界をけん引した巨星の死は、衝撃というほかなく、その反響の大きさは〝世界のオザワ〟と呼ばれた偉大な業績にふさわしいものだった
▼クラシック音楽については門外漢の筆者にも、その努力と才能に裏打ちされた熱量は、折々目や耳にする音楽活動から伝わってきた。世界最高峰のオーケストラや歌劇場で活躍する姿に、夢や希望を与えられた人は数知れまい。その突出した才能とともに、魅力的な人柄を物語るエピソードも数多い
▼そもそも職業としての指揮者が登場したのは19世紀以降で、当初は、楽器を持たず音を発することもない指揮者の存在を疎む風潮さえあったという。それがいまでは「悪いオーケストラはいない、悪い指揮者がいるだけ」などと言われるほど、重責を担う存在となった。そんな厳しい世界で小澤さんがこれほどの名声を得られたのは、並外れた勉強量や、楽曲への深い理解と独自の表現力ゆえだった
▼小澤さんの指揮について「とにかく極端にうまい」と、関係者たちは口をそろえる。楽員たちを呼吸させるのがうまく、奏者からすれば、ストレスなくすべてを感じ取って演奏できるのだそうだ
▼「小澤の目力」というように、目が合った瞬間に音が出てしまい、それがなぜかぴったりとそろう。そんな指揮こそ、まさに「神業」というほかはない
▼若き日の、無鉄砲とも言える行動力や意志力からして度肝を抜かれる。1950年代末、1台のスクーターと貨物船に乗り、63日かけて欧州に渡り、日の丸付きのヘルメットをかぶって、ギターを背負い各国を巡った。パリに着くと、腕試しに受けたブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ほかのコンクールでも次々と勝ち抜き、カラヤンに弟子入りし、やがて名門ニューヨーク・フィルの副指揮者に大抜擢された。こんな規格外の人物はまずもって後にも先にも現れることはないだろう。

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