2023/09/29
北斎もまねた(?)伊八の「波」
▼本県・鴨川市の出身と伝わる江戸時代後期の宮彫師、武志伊八郎信由(1752~1824)は、房総各地の寺社などに多くの作品を残したこともあり、県内ではその名を知られる。とくに躍動感あふれる波を表した欄間が見事であったことから、通称「波の伊八」と呼ばれる。同時代に活躍した葛飾北斎の「富嶽三十六景」の代表作「神奈川沖浪裏」との相似から、その「浪裏」などの画風への影響もしばしば指摘される
▼初代伊八の代名詞である「波」を彫った代表作「波に宝珠」は、いすみ市の行元寺にあり、これが北斎の「浪裏」に似ているとされる。「浪に宝珠」は同寺の旧書院の床の間にあり、両面彫り欄間(51㎝×175㎝)の裏面の一部分。伊八が1809年に手がけた
▼北斎の「浪裏」ができる20年以上前になるため、北斎は伊八の「波に宝珠」の宝珠を遠景の富士山に置き換え、小波の上に押し送り舟を添える形で「浪裏」を完成させたのではないかと言われる
▼北斎が「浪に宝珠」を見たという証拠はないが、その相似性からすれば、まったく接点がなかったとも言い切れない。事実、構図などそっくりで、北斎がヒントを得たとの指摘もうなずける。ただ、識者によっては「形が似ているから影響を受けたというのは、美術史でよく採られる意見」「確実に影響を与えたと言える根拠はない」など、一歩引いた見方もある
▼伊八の「波」は太平洋の荒波を観察して彫ったと伝わり、その躍動感たるや生き物のようだ。個人的には過度に北斎の作品に結び付ける必要はなく、伊八作品として純粋に受け取ればいいのではないかと思う。それでなくても「関東に行ったら波を彫るな」と言われるほど、伊八の腕は知られていたという
▼筆者も以前、行元寺を訪れ、「波に宝珠」を観る機会があった。夕暮れ近く〝大黒さん〟とおぼしき老婦人に案内され、旧書院に立った。その欄間に収まる伊八の「波」を目の当たりにして、言い知れぬオーラを感じたことをいまでも鮮明に覚えている。