コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2023/08/28

戦争の影濃い「河本五郎」展

▼少々趣味的な話で恐縮だが、この夏季休暇中に都内・港区の菊池寛実記念 智美術館で開かれていた「河本五郎―反骨の陶芸」展に足を運んだ。初期から晩年までの陶芸作品70余点を展観し、これまであまり目にした記憶のない大作群に目を見張った。関東では没後初めての回顧展というのも驚きだった
▼河本五郎(1919~86)は1950年代前半から約30年にわたり愛知県瀬戸市を拠点に活躍した。有数の陶磁器の生産地・瀬戸で幼少より窯業に身を置き、家業の染付磁器から出発した。大きく陶歴の前半は陶器、後半は磁器に取り組み、作家個人の創意で陶磁器の伝統や歴史に対峙し続けた
▼今回の訪問がちょうど終戦記念日だったせいもあってか、出展作品中、とくに70年代前後に手掛けた「俑」という陶人形からは、戦争や死を色濃く意識させられた
▼手びねりで陶工の姿を現した作品で、高さ20㎝前後と、決して大きくはない。俑とは中国で故人と共に埋葬される副葬品として作られた明器のうち、人間を模した像を指す。作者は中国陶俑に魅せられてこの時期に俑を作り、中央展への出品や俑だけの個展も試みた
▼後年、河本は俑について「自身の戦争体験に重ね合わせながら、人間の実存を現した鎮魂のような作品」と記しているが、筆者が感じた印象はその言葉と合致する
▼実際、河本は1940年、21歳の年に中国で現地入隊後、中国全土を転戦し、最後は捕虜として約1年を過ごした。復員は終戦翌年の46年。その間の想像を絶する体験が俑の製作につながっているだろうことは想像に難くない。これら陶人形を前にして、作者がどんな思いで作陶にあたったかを考えるだけで重いものを感じる
▼生前の河本は日本の陶芸を代表する作家として非常に高い評価を得ていたが、現在は残念ながら多くの人が知る存在とは言えないのではないか。死後に名声が陰る作家は少なくないが、河本もそれに類する一人と言えよう。今回の回顧展を通して、再評価の機運が高まることを願ってやまない。

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