2022/08/10
没後100年・森鴎外
▼今年は文豪・森鴎外(1862~1922)の没後100年。時代小説や現代小説、史伝に翻訳と、多様で膨大な作品を残したこの碩学に、改めて注目が集まっている。大きな節目ということもあり、代表作「渋江抽斎」や、鴎外が著作のために自ら書いた広告文の直筆原稿など新発見も相次ぐ
▼鴎外といえば、夏目漱石と並び称される近代日本の文豪だが、近年は少々分が悪い。かく言う筆者も漱石作品には接しているのに、鴎外となると恥ずかしいほど縁遠い
▼言い訳にもならないが、江戸期から続く漢文を含む日本語と、明治期以降に入り込んだ欧文が交じり合う文体や、医学から文学まで幅広い教養を持つ知識人だったため全貌がつかみづらく取っつきにくい面があったのかもしれない
▼津和野(現・島根県)の医師の家に生まれた鴎外は、一家の期待を背負って陸軍軍医となり、1884年から4年間、ドイツに留学。長男として母親や2人の弟と妹も大切にした。作品においても新しい家庭像を模索したように、思いのほか温かい家庭人だったようだ
▼とくに1902年に再婚した18歳年下の妻・志げには、自分にはもったいない妻だと言わんばかりの言葉を残している。「おれのかみさんだなんぞとい負のはすこうし気の毒だが(略)大まけにまけておれのところにゐてもらはうよ」
▼親子の血縁を重んじる古い考えを持つ母と、新時代の女性として夫婦のきずなを大切にする妻との間で板挟みになることも多かった鴎外だが、愛に満ちた家庭を築こうと努めた。4人の子にも愛情を惜しみなく注ぎ、子たちも父・鴎外を慕った
▼鴎外の作品には、現代を生き抜く手がかりが多く含まれ、不平等な社会の中に対等な関係性を求める姿勢があると言われる。人権や国籍、家庭環境、性別、貧困などに関する不平等を、自分の手の届く範囲でなくしていこうとする様子が描かれ、現代を考えるうえでも示唆に富む。鴎外を遠く感じていた反省に立って、没後100年を機にその作品と向き合ってみたい。