コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2021/08/20

求められる戦争遺跡の保存

▼76回目を迎えた終戦記念日は、新型コロナの感染拡大や秋雨前線による長雨の影響で、いくぶん影が薄くなってしまった感がある。それでなくても戦争体験者が減り、戦争の悲劇を将来へ伝えていく難しさが年々深まる
▼そうしたなか、戦禍の象徴ともいえる「戦争遺跡」をいかに保存していくかも大きな課題だ。陸海軍の軍事施設や民間の軍需工場などが周辺の開発や老朽化で解体されるケースが後を絶たない
▼千葉市もかつては「軍隊の町」と言われるほど軍事施設が集積していた。市の中心地にはいまも往時をしのばせる戦跡が点在し、これらを巡って戦争の悲惨さや平和の尊さを改めて考えることも重要だろう
▼モノレール沿線の轟町・作草部・椿森・弁天地区には多くの戦跡が存在し、施設の一部やモニュメントがある
▼葭川公園駅付近には、平和都市宣言記念像(京成千葉中央駅東口前)や戦災復興記念碑(中央公園内)がある。記念像は1995年に千葉空襲・終戦50周年を記念し「平和都市宣言」のシンボルとして設置された。京葉銀行本店前には千葉師範学校女子部跡碑があり、45年6月10日の空襲で同校の校舎が消失したことを伝える
▼千葉公園内は綿打池付近から競輪場一帯が鉄道第一聯隊の演習用作業場だったことから、演習用トンネル、架橋演習用橋脚が残る。椿森には千葉陸軍病院跡(国立病院機構千葉医療センター)や鉄道大隊記念碑、将校集会所庭の築山跡(椿森公園内)、作草部駅から天台駅付近には旧鉄道第一聯隊材料廠(千葉経済学園内)、陸軍歩兵学校跡(作草部公園内)がある
▼作草部1丁目には旧気球聯隊第二格納庫があったが、老朽化や台風被害などで昨年12月に惜しまれつつ解体された。1934年に建てられた、市内に現存する戦争遺跡では最大級だった
▼戦争遺跡に関しては、全国で署名活動など地道な運動が続けられ、行政を動かして保存に結びついたケースもある。戦争の悲劇を語り伝えるためにも、保存活動の一層の広がりが期待される。

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