コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2021/07/20

土石流被害の伊豆山地区

▼熱海といえば、首都圏から近い温泉観光地として名高い。その熱海市(静岡県)の伊豆山地区で5日に発生した大規模な土石流は、多くの死者・行方不明者を出す甚大な被害をもたらし、いまも懸命な捜索・復旧活動が続けられている。伊豆山地区には筆者も何度か赴いたことがあり、映像などで被災状況を見るにつけ胸が痛む
▼伊豆山地区には伊豆山神社があり、熱海の発祥はこの地にあると言っても過言ではない。今回の土石流は伊豆山神社の西側で起こり、神社は辛うじて難を逃れた
▼伊豆山神社の山号は「走湯山」で、『走湯山縁起』などの史料が示すように神社そのものも指す。同社は、霊所である日金山(ひがねさん)と海岸に湧き出る走湯(はしりゆ)への信仰が基盤となり、平安時代中期には諸堂が立ち並び、鎌倉時代には非常に栄えた
▼源頼朝との関係はよく知られるところで、頼朝は伊豆国に配流された際、同社に源氏再興を祈願。同社の支援を得て、平家討伐の旗揚げをした。同社は後に頼朝の妻・北条政子をかくまうなど様々な協力を行い、頼朝も領土の寄進などを行っている
▼戦国時代には、伊豆と相模の国を治めた北条早雲も同社を篤く保護したが、豊臣秀吉の小田原征伐で同社は焼失した。しかし江戸時代には、山麓の「阿多美」が湯治場として知られるようになり、徳川家康をはじめ多くの大名や文化人たちが訪れた
▼江戸幕府や代々の将軍から寄進を受けて、焼失した同社は再建され、多くの山林を所有するなど絶大な力を持った。その所有地は現在の伊豆山地区と熱海地区が入る広さだったという
▼その後も温泉文化の発展とともに、明治時代に入っては岩倉具視、伊藤博文、松方正義など、熱海を訪れた政治家や文化人は数知れず、大正時代の『熱海町誌』には50軒の別荘が記載されている
▼このように古くから多くの人に愛されてきた、熱海。今回の土石流災害でその発祥の地というべき伊豆山地区に大きな被害がもたらされたことは、残念でならない。一日も早い復旧・復興を願ってやまない。

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