コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2021/06/01

行基供養の建物跡

▼奈良時代の高僧、行基(668~749)といえば、民衆への布教のみならず、貧しい人たちへの食料の提供や、橋・道路の建設などの社会事業に携わったことで知られる。東大寺の大仏造立にもかかわり、聖武天皇の厚い信頼を得て各地を巡り、寄付を呼びかけるなどの活動により、多くの人たちに慕われる存在だった
▼そうした人々の行基に対する敬愛の念をうかがわせる発見が、このほど報道された。奈良市の菅原遺跡で円形の建物跡が見つかり、それが行基を弔う施設だった可能性があるという。奈良時代の円形建物跡の発見は初めてで、その点でも注目される
▼建物跡からは、円状に並ぶ柱穴が15か所(推定16か所)発見され、基壇(土台)とみられる凝灰岩の抜き取り跡も見つかった。柱穴が描く円の直径は約15mに及び、円堂や多宝塔といった建物だった可能性が大きいという
▼これほど大規模な仏教施設は、その時期から考えて、関係する人物が行基くらいしかおらず、しかも建物跡は平城京跡西側の、東大寺や平城京を望める場所に位置している。行基がいつでも大仏を見られるように弟子たちが気持ちを込めて造ったのでは、と自ずと想像が膨らむ
▼実際には、行基は大仏の開眼供養会を目にすることなく、80歳余りで菅原遺跡付近の菅原寺(喜光寺)で没したと伝えられる。今回の遺構は、亡くなった直後に菅原寺付近に供養堂として建てられた可能性がある
▼円形遺構の構造などの詳細については今後の解明が待たれるが、多宝塔との見方が多い一方で、古代インドのストゥーパのような、土を盛った墳墓のようなものと見る研究者もいる
▼現在、現場一帯では宅地造成が進められており、奈良県などが公有地化も視野に開発業者側と交渉を重ねたが、現時点で折り合いはついていない
▼布教活動を超えて様々な分野で貢献した社会事業のパイオニア、行基。その多大な功績を弟子たちがたたえた供養堂の建物跡が開発により消えてしまうとしたら、何とも残念でならない。

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