コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2020/10/22

光当たる幽学記念館

▼旭市の「大原幽学記念館」が、県内42番目の博物館として県教育委員会に登録された。幕末の社会運動家・大原幽学(1797~1858)の先進性と業績の広範さに、以前から驚かされていた筆者としては喜ばしい限りだ。関係者の尽力に敬意を表したい
▼記念館は、幽学の業績研究や歴史資料を保存・公開する目的で1996年に開館、長く「博物館の類似施設」との位置づけだったが、目録の電子データ化や資料の管理態勢などの条件を整え、今回の登録に至った
▼尾張出身の幽学は1836年に現在の旭市を訪れ、農業指導者として当地の発展に貢献した。耕地整理や農業指導などを実践し、現在の農業協同組合の前身といわれる「先祖株組合」を結成。農民が協力し合って自活できるよう各種の実践仕法により成果を上げた
▼その業績は教育的実践、生活的実践、農業的実践の3つに大別される。教育的実践では、人との交流によって信頼関係を築き、そこから本格的な学習に入る指導法で、対面的な交流と身近な道徳に重きが置かれた。女性や子どもを重視したのも特徴で、数軒の家で子どもを育てる「換子教育」を導入した
▼生活的実績では、先祖株組合のほか、日常生活の規律や心得を指導した生活改善、建築に独自の様式を取り入れた家屋普請、さらに労働奉仕(丹精)や医薬・治療でも業績を残した
▼農業的実践では、耕地整理とこれに伴う住居移転(分散移転)、宿内集落の造成、一年間の農事予定を示す「年中仕事割」、新しい農業技法を取り入れた「正条植」などを行った
▼終生、農民の教化と農村改革運動を進め、道徳と経済の調和を説いた幽学だが、急激な活動や労働・学習の実践が幕府に怪しまれ、失意のうちに62歳で自殺を遂げた
▼死の際に残した言葉は「すてがたきは義なり」。自身には不本意な結末だったに違いないが、後世に残した業績が色褪せることはない。千葉県の誇れる偉人として、今回の博物館登録を機に、さらに多くの人にその業績を知ってもらいたい。

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