コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2019/09/09

魯山人の実像

▼北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん、1883~1959)といえば、まず料理に関係する部分が思い浮かぶ。その作陶にしても、料理を盛りつけるためのやきものというイメージが強い。しかし演繹すれば、それは空間という総合芸術の一歩としてのやきものであり、われわれの抱くイメージ以上に、その芸域は広く、古典への造詣も深かった
▼今夏、千葉市美術館で開かれた回顧展では、中世以来日本文化の核となっていた茶道を基軸として魯山人が陶芸の古典復興を代表する存在だったことが知れる。同時代の陶芸家たちの先駆者として活動し続けてきたその作陶は、現代陶芸の礎ともなった
▼それにしてもなぜ、魯山人はこれほどまでに料理とのかかわりにおいて語られることが多いのか。確かに魯山人は稀代の美食家であり、自分の料理を盛りつけるためのやきものに強いこだわりを持っていた。魯山人がやきものに惹かれた最大の理由は、作る楽しみではなく、料理を盛りつけるにふさわしい食器を揃えるためだったと推察される
▼ただ意外にも当時、魯山人が「こういうものを盛りつけた」という資料はあまり残っていない。いまでこそ雑誌などで魯山人の器に盛りつけた料理写真をよく見かけるが、それは彼の晩年以降のイメージだという
▼戦後、主婦の家事の量や質が変化し、「教養としての和食」という風潮が表面化する中で、とくに辻嘉一という懐石料理の名手が魯山人の器を好み、自分の料理を盛りつけた。これが魯山人のその後のイメージの確立に、意外なほどの影響を与えたと言われている
▼回顧展では、そんな魯山人の戦後のイメージから飛翔し、まさに「『美』を食す人」と形容される活動の全容が展観された。そこで言う「美」とは、冒頭で触れたとおり、「美食」にとどまらぬ広義の「美」を意味する。彼の作品を中国大陸や朝鮮半島をはじめ日本の古陶磁とあわせて展示することで、昭和の陶芸に豊饒な成果をもたらした総合芸術家としての姿が浮き彫りにされていた。

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