コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2019/03/07

「幻のノーベル賞」山極勝三郎

▼病理学者の山極勝三郎(1863~1930)は、人工がん研究のパイオニアとして知られる。昨年10月のNHK「歴史秘話ヒストリア」でも取り上げられていたが、筆者がその存在を知ったのは、「真田丸」熱さめやらぬ一昨年の夏、上田城跡公園(長野県上田市)にある市立博物館内の山極勝三郎記念室を訪れてのことだ
▼同市出身の山極は約100年前に「人工的にがんを作る」実験に成功。その業績は現在のがん医療の礎となった。1949年に湯川秀樹が物理学賞で日本人初のノーベル賞を受賞した20年以上前に医学生理学賞の有力候補になっていた
▼山極の研究に先駆けて1920年代にデンマークのヨハネス・フィビゲルが人工がんの発生に成功したとされたが、その研究は一般的なものではなく、山極の研究こそががん研究の発展に貢献するとの意見は当時からあった。にもかかわらず1926年、フィビゲルのほうにノーベル医学生理学賞が与えられた
▼それから26年後にフィビゲルの診断基準自体に誤りがあることが判明し、ノーベル賞史における汚点の一つとなった。それにより山極は世界初の人工がん作成者の名誉を取り戻し、現在では人工がんの発生、それによるがん研究は彼の業績によるとされている
▼山極は1925年、26年、28年と没後の36年の4度、ノーベル医学生理学賞にノミネートされた。最も受賞の可能性が高かったのは、フィビゲルが受賞した26年だった。今ではあきれる話だが、当時は選考委員会で「東洋人にノーベル賞は早すぎる」という発言も公然となされたと言われる
▼山極の「人の幸福の役に立つ」という信念は終生変わらず、引き下がらず前進することが偉大な業績の原動力になった。ノーベル賞が授与されなかったことには、歴史の皮肉と言える側面もあるにせよ、その業績が現代のがん研究に与えた多大な影響は疑う余地もない。今では、各国で使用されるがん医療の英字教科書の冒頭に「カツサブロウ・ヤマギワ」の名が掲げられているという。

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