コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2018/12/04

文豪ゆかりの一宮町

▼2020年東京オリンピックのサーフィン競技会場として盛り上がりを見せる一宮町だが、同町は明治末期から昭和初期にかけて文人や名士などが訪れる避暑地として栄えた。文豪・芥川龍之介も大正5(1916)年8月17日から9月2日にかけて同町を訪れ、友人の久米正雄とともに滞在している
▼滞在したのは一宮川河口にある旅館「一宮館」の離れで、現在も「芥川荘」として同館の裏手に残され、ゆかりの品とともに公開されている。当時の芥川は東大英文科を卒業し、同年2月に小説「鼻」を発表。夏目漱石に激賞され、文壇の注目を浴びて小説家として歩み始めた頃だった
▼滞在中の8月25日に、芥川が恋人の塚本文に長い求婚の手紙を書き送ったことはよく知られている。「芥川荘」の前には恋文碑が建てられ、毎年、碑前祭も開催されている
▼恋文の内容はと言えば「僕のやっている商売は 今の日本で 一番金にならない商売です。その上 僕自身も 碌に金はありません。ですから 生活の程度から言えば 何時までたっても知れたものです。それから 僕は からだも あまり上等に出来上がっていません。(あたまの方はそれでも まだ少しは自信があります。)うちには 父、母、伯母と、としよりが三人います。それでよければ来て下さい」とつづり、「僕には 文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思っています。繰返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は 文ちゃんが好きです。それでよければ、来て下さい」と、平易な文面で胸の内を切々と訴えている
▼この恋文による求婚の後、芥川は19年3月に塚本文と結婚した。この恋愛が成就したことにちなむ「芥川龍之介恋文大賞」は今年で第6回を数え、地元の社会福祉法人の主催で応募作品が募集されている
▼かつては「東の大磯」とも言われ、川沿いや海岸付近に百軒近くの別荘が建ち並び、避暑地として栄えた一宮町。サーフィンだけでない町の歴史と魅力も、この機に多くの人に知ってもらいたい。

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