コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2018/11/06

日本のゴーギャン「一村」の千葉時代

▼生前は無名に等しかったが、何かのきっかけで後に再評価される芸術家は少なくない。50歳で奄美大島へ移住し、亡くなるまでの20年間、それまで日本画の題材になることがなかった亜熱帯の動植物などを描いて、新たな画境を切り開いた田中一村(1908~77)もその一人だ。独自の構図や色彩感覚をもとに描かれた奄美作品によって、一村は今や「日本のゴーギャン」とも言われる
▼青少年時代には南画の世界で神童と呼ばれ、東京美術学校へ入学。しかし2か月で退学し、それ以降は特定の師につかず、独学で画家人生を歩んだ。奄美に渡るまでの20年間は千葉時代(31~58年)とも呼ばれ、千葉市千葉寺町に家を建てて移住、ひたすら写生に没頭する日々を過ごした
▼この千葉時代は、南画と決別し、新たな絵画への挑戦を目指した時期として、一村の画家人生において大きな意味を持つ。その後に奄美で描く花鳥画の基礎を身に着けた貴重な時間と位置付けられ、そこには叙情豊かに描かれた千葉の風景が多く見られる。千葉寺や仁戸名といった地名が付された作品も散見される
▼それらの作品からもわかるように、当時、千葉市街近郊には里山や林、田畑の広がるのどかな農村風景が広がっていた。一村の手になる千葉の風景は、新興住宅地として開発された今では想像もつかない牧歌的な理想郷として描かれている。千葉にゆかりのある者にとっては、在りし日の千葉をしのぶ貴重なイメージにもなる
▼この時期、日展や院展など画壇への挑戦を試みるも、ことごとく落選の憂き目にあった一村は、中央画壇と決別し、独自の画道を進むことを決意する。住み慣れた千葉を50歳で引き払い、新天地・奄美へ移るが、千葉時代の写生で培った自然観察は、その後の奄美作品に結実していく
▼識者によれば、一村の千葉時代に関する研究はまだこれからで、その暮らしや思いを調べるための資料収集が重要になるという。千葉で活動した足跡のわかる機会が今後増えていくことが望まれる。

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