コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2018/04/10

閉館後も伝えたい飛行家魂

▼千葉市の稲毛海岸が「民間空港発祥の地」であることを、どれほどの人が知っているだろう。埋め立てにより多くの中高層住宅が建ち並ぶ現在の光景からは、そこに飛行場があったことを思い描くのは難しい
▼そんな民間航空発展の歴史をいまに伝える「稲毛民間航空記念館」(美浜区)が先月末で閉鎖された。稲毛海岸の全面改修に伴うもので、30年近い歴史に幕を下ろした。記念館で展示されていた復元機は改修後の施設でも公開する方向で検討されているとのことだが、この地に脈々と受け継がれる飛行家魂をぜひ目に見える形で残してほしい
▼国内初の民間飛行場「稲毛飛行場」が稲毛海岸に完成したのは1912(明治45)年。元海軍技師の奈良原三次(1877~1944)が、干潮時に遠浅の砂浜が荷馬車が通れるほど固く引き締まっているのを滑走路として見込んだ。飛行機の最先端の知識を持っていた奈良原のもとには、多くの飛行家が集まった。伊藤音次郎(1891~1971)もその一人で、15年に当地に伊藤飛行機研究所を設立し、翌年には自身が設計した機体で、民間機による初の東京訪問飛行を成功させた
▼飛行場は1917年に台風の高潮被害で閉鎖されたが、先人の歩みをたたえ89年に開設したのが稲毛民間航空記念館だ。鉄骨2階建て約440㎡のフロアには、明治後期から大正初期に活躍した名機「奈良原式4号機鳳(おおとり)号」の復元機や、42年ごろに多く生産された「文部省式初級滑空機」などが展示されていた
▼美浜区の国道14号沿いには、日本初の民間飛行場があったことを伝える民間航空発祥之地記念碑も建っている。巨大なT字型の碑で、先人の足跡を残そうと伊藤が中心となって71年に完成したものだ
▼飛行場の貴重な歴史をとどめていた記念館が閉館したことで、飛行機に情熱を注いだ先人たちの思いを後世に伝えていくのが難しくなるのではないかと心配だが、今回の稲毛海岸の改修事業に際しても、こうした歴史を後世に伝える視点を忘れないでほしい。

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