コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2018/03/20

美談裏付けるスペイン船砲弾か

▼17世紀初めに御宿沖で沈没したスペイン船「サン・フランシスコ号」のメキシコ人ら乗組員を村人が総出で救助した事件は、その後の日墨交流の礎となった美談として知られている。当時のメキシコはスペイン領だったため、スペインとの交流もここから始まったと言える
▼その御宿沖の海底で昨年、直径12㎝、重さ2・8㎏の球状の石が見つかり、これがサン・フランシスコ号の大砲の弾ではないかと話題を呼んでいる。石を見つけた研究グループによれば、否定する材料はないが、断定するにはもう少し砲弾以外の遺物などの材料が必要とし、さらに現地で調査を続ける方針という
▼房総志料によれば、メキシコに向けて航行していたサン・フランシスコ号は1609年9月5日夜、折からの嵐のために進路を誤り、夷隅郡岩和田浦(御宿町)に座礁。事件を知った村民が総出で駆け付けて救助活動にあたり、317人を救出した。海女たちは、飢えと寒さと不安に打ち震える異国の遭難者を素肌で温め、蘇生させたと伝えられる
▼このときサン・フランシスコ号には前フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴらが乗船しており、救助された一行は岩和田で87日間を過ごしたのち、大多喜城経由で江戸へ出発。駿府では将軍徳川家康に謁見し、翌年、家康から旅費と船を与えられ、浦賀から帰国した。これらの出来事は、ロドリゴが著した「日本見聞記」に記されている
▼こうして始まった日墨の交流も、1639年の徳川幕府による鎖国政策で途絶えてしまうが、250年に及ぶ空白期のあと、1889年に日墨修好通商条約が締結されて復活。同条約は幕末の開国以来初めての平等条約として知られている
▼今回発見された砲弾とみられる遺物がサン・フランシスコ号のものと確認されれば、国や人種を超えた救出劇として長く語り継がれてきた美談がさらに身近なものとなり、歴史の一コマがぐっと現実味を帯びてくる。今後の調査で、サン・フランシスコ号の船体や遺物が見つかることを期待したい。

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