コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

  1. ホーム
  2. コラム「復・建」

2018/02/20

嶺岡オオカミ退治に学ぶ教訓

▼いればいたで厄介者と嫌われたりもするが、いなくなってみれば、その存在意義や役割を考えさせられる。ニホンオオカミはそんな存在かもしれない
▼かつては本州から九州まで生息していたが、家畜伝染病や人為的駆除、開発による餌資源の減少、生息地の分断などで明治末期に絶滅したとされる。そんなニホンオオカミが千葉県の野山にも君臨していた様子が読み取れる古文書が発見されたという
▼江戸時代、鴨川市と南房総市にまたがる幕府の放牧地だった「嶺岡牧(みねおかまき)」の当時の管理人「牧士」(もくし)による古文書で、文書名は「狼山犬被害届控」。嶺岡牧を巡っては現在、研究グループによる遺構調査や古文書の解読やデータ化が進められており、今年度の調査報告書で、牛馬を襲うオオカミが当時最大の害獣だったことが、この古文書から裏付けられた
▼報告書によれば、古文書には1725年に生まれた子馬が4頭、27年には同じく2頭がオオカミに食い殺されたと記されている。別の文書では、幕府が牧士に鉄砲を貸し与えてオオカミ退治を命じ、「打ち留めた者への褒美下賜」との記述もある
▼鴨川市史などには、北風原村(現鴨川市北風原)だけで85年の駆除数がオオカミ5頭、イノシシ28頭、シカ69頭、1816年にはオオカミ2頭、イノシシ18頭、シカ58頭に上ったことが記されている
▼江戸時代の主な有害獣はオオカミ、イノシシ、シカだった。現在ではオオカミを除くイノシシとシカの繁殖が全国的に著しく、農作物等への被害が深刻化している。かつてオオカミは牛馬を襲う最大の害獣だったが、一方でオオカミの主な獲物はシカであり、オオカミがいて生態系のバランスがとれていた。それがオオカミ狩りの結果、天敵が減少し、イノシシなどが増えたとも考えられる
▼有害獣の頭数管理では過去から学ぶべき点があり、将来を見据えた慎重さが必要だ。ニホンオオカミ絶滅の教訓として言えるのは、一度バランスを欠いてしまった生態系を元に戻すのは容易ではないということだろう。

会員様ログイン

お知らせ一覧へ