2017/10/31
美の追求は悲劇の歴史
▼女性の美しさに対する概念は古今東西で異なり、その振り幅の大きさには驚かされる。その歴史をひもといてみると、美を極めることには往々にして弊害が伴うことも浮き彫りになってくる
▼日本に限って時代ごとに見ても、飛鳥時代にはふっくらとした輪郭や切れ長の目、奈良時代には豊満で太い眉や小さな口、平安時代にはしもぶくれ、細い目やおちょぼ口、とがった小さな鼻などが美人の基準とされたことが、現存する絵画などからうかがえる
▼鎌倉・室町・安土桃山時代になると、武士の時代を背景に優雅で雅な印象が薄まり、活動的な女性像のほうが好まれた。いずれにせよ、どの時代の基準も現代とはずいぶん違っていたようだ
▼現代に目を移しても、その判断基準には大きな地域差がある。女性の肥満度では、中東の多くの国々は「太り過ぎ」に分類される。アフリカの一部地域では「太った女性は美しい」という考え方が根強く、無理やり太らせる習慣によって死亡例も出ている
▼逆に日本や欧米では、やせているほうが美しいという意識が強く、ダイエットに関心がある女性が9割にのぼると言われ、拒食症などで死亡するケースも出ている。このため、フランスでは今年、「やせ過ぎモデル」を規制する法律が施行され、一部の高級ブランドなどはファッションショーにやせ過ぎたモデルを使わないことを発表している
▼近代ヨーロッパでは、ウエストを細く見せるコルセットが広まり、骨が変形したり、血流が悪くなったりする症状が相次いだ。中国では伝統的に小さい足が美人の条件とされ、足の発育を止める「てん足」が行われた時代もある
▼こうしてみると、美の追求はある意味、悲劇の歴史とも言える。その一方で、世界には「美しいも皮一重」(欧米)、「笑顔は美形の2倍の財産」(アラブ圏)など、容姿の美しさ以上に人柄が大切と説く格言も多い。こうした格言からは、必ずしも見た目だけでない美の価値観があることもわかり、どこかほっとした気分にさせられる。