コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2017/07/25

ゆらぐ聖徳太子の呼称

▼日本の歴史で偉人の代表格として誰もが知る「聖徳太子」。その呼称が揺れている。文部科学省が学習指導要領の改訂案で「聖徳太子」の呼び方を「聖徳太子(厩戸王)」などに変えようとしたところ批判が相次ぎ、表記は元に戻った。太子本人が知ったら、きっと苦笑いするような話だろう
▼日本書紀には、冠位十二階や十七条憲法を制定した人物として「厩戸皇子」と記されており、「聖徳太子」の名称はない。「聖徳太子」は死後につけられた称号で、近年の研究では「厩戸王」に当たる可能性が高いことが呼称変更の理由だった
▼現在の教科書では、小学校はすべて「聖徳太子」、中学校では「聖徳太子(厩戸皇子)」や「厩戸皇子(後に聖徳太子と呼ばれる)」などと表記が分かれている。改訂案では、小学校は「聖徳太子(厩戸王)」、中学校は「厩戸王(聖徳太子)」に改めるという内容だった
▼両呼称併記の形とはいえ、小中学校で主従が逆というのもどこか解せないが、結局、併記への批判が多く、教員からも「呼び方が違うと教えづらい」「指導の継続性が損なわれる」など否定的な声が出て、結果的に小中学校とも「聖徳太子」の表記に戻された
▼考えてみれば、さすがに聖徳太子と言える騒動ではある。奈良時代以降に日本仏教の祖とあがめられ、神話化が進んだとされ、天皇の権威を確立するための造作と見る批判的な研究も戦前からあった。しかし多くの日本人は、国の統治の基本をつくり、仏教や神道の興隆に努めた重要人物として教えられてきた。十人の話を瞬時に聞き分けたなどという賢者ぶりを示す逸話も必ずのように付いて回る
▼太子の称号には、このほかにも上宮王、豊聡耳、上宮太子聖徳皇など多数あり、厩戸の命名の由来も諸説ある。そんな中でも「聖徳太子」の称号は一般的になじみが深く、それは多くの国民に共通だろう。動かしがたいほど私たちの中に根付いている「聖徳太子」の称号は、やはりこのまま残していくのが妥当な選択ではないだろうか。

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