コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2017/05/09

乱歩と魚津の蜃気楼

▼富山県魚津市の海岸で幻想的な蜃気楼が見られたニュースを最近何度か耳にした。蜃気楼の見える街として知られる同市では、春から初夏にかけて、気温が高く穏やかな北北東の風が吹く日に蜃気楼が発生しやすいとされる。実際に目にする僥倖に一度はあずかりたいものだが、出現は短くて数分、長くても数時間というから、目当てに赴いても出合える機会は限られる
▼蜃気楼とは、密度の異なる大気の中で光が屈折し、地上や水上の物体が浮き上がって見えたり、逆さに見えたりする現象。蜃(大ハマグリ)が気を吐いて楼閣を描くと考えられたことから、蜃気楼と呼ばれる。鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」にある蜃気楼も、やはり大ハマグリの吐いた気によって楼閣が現れる図になっている
▼蜃気楼といえば、江戸川乱歩の短編「押絵と旅する男」で語られる描写も有名だ。夢かうつつか定かならぬ旅の記憶を語る主人公の男が、魚津で蜃気楼を見た帰り、列車の中で押絵を持つ老人から怪奇を聞く話で、あやかしの世界へいざなう道具立てとしての蜃気楼の描写が印象的だ
▼そこは乱歩のこと、幻想的でありながら、いささか不気味でグロテスクな描写になっている。「乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、大空に映し出した様なもの」。妙な形の黒雲に似ていながら、大入道のようでも異形の靄のようでも角膜の表面に浮かんだ一点の曇りのようでもあると表現し、見る者との距離の曖昧さに不気味さを感じるとも記している
▼もっとも、乱歩が実際に魚津市を訪れた折には、季節外れで蜃気楼を見ることはできなかったようだ。とすれば、これらの描写は乱歩の頭の中で形作られたものになるが、遠方の景色が眼前にぼぉーと拡大して投影される錯視の世界として蜃気楼がとらえられているのはいかにも乱歩らしい
▼古くは、目に見えても実体のない存在の例えとされた蜃気楼。見る者の心のありようで印象が変わる神秘性も蜃気楼の魅力と言えるだろう。

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