コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

  1. ホーム
  2. コラム「復・建」

2016/05/18

五倫文庫とその由来

▼地方の資料館や博物館などで思わず目を見張るコレクションに出合うことがある。御宿町歴史民俗資料館が収蔵する「五倫(ごりん)文庫」もその一つだった。江戸時代から昭和に至る国内外の初等教育の教科書を集めたコレクションで、展示のみならず自由に手に取って閲覧もできる。教科書を通して時代やお国柄まで透けて見える楽しさがある
▼五倫文庫は1892(明治25)年、御宿小学校の校長だった伊藤鬼一郎氏(1866~1932)が毎年使用される教科書を保存し、比較検討しようとしたのが始まりだ。世界が平和に共存していくためには幼い時の教育が重要との考えによるもので、その先見性と志の高さには驚かされる
▼自分の生まれた年の教科書や自分の学んだ教科書を眺めるのはどこか懐かしく、また、寺子屋で使われたような江戸期の古い資料を手に取れば、たちまちその時代の気分に浸れる。教科書は他の本とはまた違う、時代を敏感に映しだす鏡のようにも感じられる
▼五倫文庫の由来にはさらに美談がある。1902(明治35)年9月に房総を直撃した台風で、御宿小学校は全校舎倒壊の悲運に遭った。日露戦争の最中で国の援助も期待できず、校舎再建の見通しが立つどころではなかった。そこで伊藤校長は、当時の式田啓次郎村長とともに子どもたちのために各戸毎日5厘の日掛貯金をしていこうと説いて回り、08年には全村民賛成のもとに実行。豊漁による好景気も手伝って12年5月からは1日1銭とし、9年間にわたり1戸の離脱者もなく3万円(現在の価値で約1億8000万円)を集めて新校舎を建てた
▼たまたま御宿を訪問した陸軍の黒田善治少将がこの話を聞き、5厘は儒教の道徳法則「五倫」に通じるとして、同校に「五倫黌(ごりんこう)」という文字を浮き彫りにした額を贈った。もともと額には「伊藤校長主唱」と書かれていたが、校長の希望で「御宿全町民」と彫り直されたという。このため、御宿小は「五倫黌」と呼ばれ、文庫の名称もこれにちなんで付けられた。

会員様ログイン

お知らせ一覧へ