2015/06/01
訃報に赤目四十八瀧を思う
▼映像化された作品に魅せられて、原作本を買い込みはしたものの、ついぞ読まずじまいになっていた。車谷長吉さんの長編小説『赤目四十八瀧(あかめしじゅうやたき)心中未遂』である。その訃報に接して、何か残念で申し訳ないような気分になった
▼『赤目四十八瀧心中未遂』は、1998年の直木賞を受賞した車谷さんの代表作だ。伊藤整文学賞にも決まったが、伊藤整氏との文学観の違いから受賞を辞退するなど、その一徹さでも知られた。自ら「反時代的な私小説作家」を標榜し、苛烈な私小説を書き続けたが、同作も、関西を点々として過ごした30代の極貧時代を色濃く反映しているものと推察される
▼03年公開の同名映画(荒戸源次郎監督)には、生と死、美と醜といった対比が陰影深くつづられ、その幻想的映像はいまでも脳裏に鮮明だ。160分という長さも、劇中にはまり込んであっという間だった。人生の吹き溜まりであがく人間たちの息遣いもさることながら、男女が赤目四十八瀧(三重県)を巡る、後半の〝死出の旅〟の甘美な哀切さも忘れがたい
▼新聞紙上の人生相談の回答者としても異彩を放ち、筆者など、車谷さんがどんな回答を下すのか毎回興味津々だった。小説を書きたいという相談には、善人には書けないと断じた。自尊心、虚栄心、劣等感を人間精神の三悪として、小説はこの三悪を徹底的に掘り下げるしかないと語っていた車谷さんの覚悟を物語る回答だったろう
▼「私は原則としてズボンの前を閉めない」と公言してはばからなかったのも、いまや伝説の域であろうし、5年ほど前に書いたエッセーには「あと数年で死のときが来るので、その日が待ち遠しい」と書いていたという
▼「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」と詠んで、そのとおり如月の望月の頃(陰暦2月15日)に亡くなったのは西行法師だが、その修行僧のような風情ともあいまって、西行と似たような符合を感じてしまう。69歳での旅立ちは残念というほかないが、残された数々の伝説に終わりはない。