2015/04/13
乱歩の『毒草』と格差・少子問題
▼江戸川乱歩の『毒草』という掌編に「産児制限」という言葉が出てくる。堕胎(だたい)にかかわる、その題名通り「毒」を含んだ作品だが、読んでいて、ふと、現代の深刻な少子化や格差社会の問題に考えが及んだ。現代もこの作品の書かれた百年近く前と似た、思うに任せぬ社会背景があるのではないか、と
▼『毒草』の梗概(こうがい)はこうだ。小川の岸に生えている「堕胎の妙薬」とされる植物を前に、その講釈を友人に垂れていたところ、貧しい子だくさんの妊婦に立ち聞きされてしまう。妊婦がその毒草を使いはしまいかと、気が気でない主人公。妄想から罪悪感に苛まれ、確かめてみると岸部の毒草は何者かに手折られているようだった。数日後に例の妊婦と出くわすと、女の腹はぺちゃんこだった……
▼その真相は明らかにされないが、主人公はこの話の中で当時の産児制限について、「誤用されて、不必要な有産階級に行われ、無産社会には、そんな運動の起こっているのを知らぬ者が多い」と語り、だからこの付近の長屋にも「必要以上に子福者(こぶくしゃ)」が多いのだと論じている
▼子福者とは、字面の通り、夫婦間で多くの子どもに恵まれて幸せな人のことを言う。そんな言葉を使いながら、皮肉にもこの話では、子福者はあくまで貧しく不幸な家庭としてとらえられている
▼翻って現代は、子だくさんの家庭は少なくなり、少子化が急速に進展する。2013年の出生率は1・43で、05年以降は若干の上昇傾向が見られるものの、政府が目標に掲げる「50年後の総人口1億人」達成は容易でない。今後の出生率の達成水準についても、有識者からは「出産の押しつけ」といった指摘も出ている
▼現代が子どもを産むに産めない時代だとすれば、産んで苦しい生活を強いられる時代とどれほどの差があるのだろう。現代も百年前とそうは違わぬ厳しい社会環境にあると見ることもできる。「産児制限」などという言葉と無縁の時代であればこそ、安心して産み育てることのできる社会環境の醸成が望まれる。