2015/03/16
悩ましきペットの寿命
▼数か月前のNHKの番組で、ペットのオウム(インコ)を手放す飼い主の話題が放送された。一般にオウム目は長生きのため、最後まで飼えず、保護されたオウムの飼い主が自宅で病死していたり、認知症の飼い主が引取先を探したりするケースが目立っているという
▼オウムの寿命は大型のもので30~70年と言われる。長命ゆえペットロスを低減させると言われる一方、長期間にわたる飼い主の責任も問われる。もちろん基本的には、飼い主にもオウムにも罪はないのだが
▼仏作家ミシェル・ウエルベックの小説『ランサローテ島』(河出書房新社)にも著者と等身大の主人公「私」がオウムと遭遇する場面があり、「オウムはしばしば七、八十歳まで長生きし、成長をやめない」と書いている。背後から「バカヤロ!」と興奮しながら繰り返すオウムに、「私は鳥が大嫌いだが、一般に鳥のほうも私のことを嫌ってくれる。まあ、オウムを鳥と呼べればの話だが」と、いかにもウエルベックらしい減らず口をたたいている
▼一方で、オウムとは逆に短命のペットなら喪失の悲しみが薄らぐかといえば、そんなことはない。愛犬家として名高い仏作家ロジェ・グルニエは『ユリシーズの涙』(みすず書房)の中で、ライフサイクルの短さゆえに、犬のことを「悲しみの動物」と表した
▼同書には、齢(よわい)95を数えるある夫人が著者に電話で、愛犬が死んだので別の犬を手に入れたいからどこか連絡先を知らないか、と尋ねる話が出てくる。著者は「なんたる楽天主義か!」とあきれつつ、「こんなに長生きしたからには、まだまだ生きられますよとだれかに言われたのだろうから、夫人にも言い分はある。まだ犬一頭分の寿命ぐらいは残されていますよという理由に違いない」と、皮肉まじりに共感を示している
▼どれほど相思相愛の関係でも、飼い主とペットの寿命が一致することなど、よほどの神慮でも働かぬ限り、そうあるものではない。ペットの寿命の長短にかかわらず、飼う側にもそれなりの覚悟が必要だ。