コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2015/03/02

戦時下の報道統制

▼報道の自由は国民すべてに与えられるべきもので、今でこそその権利は基本的に守られているが、戦時下ではそうはいかなかった。とりわけ災害などの非常時、たとえば、第二次世界大戦中に立て続けに発生した東南海地震(1944年12月7日)と三河地震(45年1月13日)がそうだった
▼東南海地震発生翌日の12月8日の「読売報知」の紙面では、地震の記事は3面に置かれ、中央気象台の発表と各地の被害状況が簡単に報じられたにすぎない。被害の大きかった名古屋についても「被害を最小限度に喰い止め、当局の万全の対策により直ちに復興作業が行はれた」と、被害が小さかった印象を与えるように書かれた
▼戦時の情報統制下では、日本に不利な情報や国民の戦意に悪影響を与える情報は報道できなかった。地震発生直後には内務省の新聞検閲係は報道機関に対し、①被害状況は誇大刺激的にならないようにする②軍施設や軍需工場など戦力低下を推知させるような事項は掲載しない③被害程度は当局の発表もしくは資料を使う――といった留意事項を通達した。報道に携わる者にとっても恐ろしい時代だった
▼東南海地震から約1か月後の三河地震でも、全国紙の扱いは小さかった。被災地の地元紙でさえ被害の詳細を報じるよりも、人々に戦時体制の維持を強く求める内容だった。連続して発生した地震で被災者に動揺が広がり、戦意に支障が出ることを恐れたためだ。「どんな天災地変にも慌てて灯火を洩らすな」と、灯火管制維持を求める文面も載った
▼逆に、終戦翌年の46年12月21日に発生した南海地震は、翌日の新聞1面トップで報じられ、被災地の写真、地図、具体的な被害の数値を詳細に伝えている。敗戦によって戦意高揚のための報道規制が不要になったことを示している
▼情報が正しく伝わらないほど恐ろしいことはない。世情不安のもとで災害が起これば、すべての秩序が瓦解しかねない。歴史の転換点にあるといわれる今、報道のあり方とともに考えるべきことは多い。

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