コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2011/05/30

濱口五兵衛がいたならば

▼国際語になった日本語といえば、「スシ」「テンプラ」「カラオケ」「カロウシ」と思い浮かぶが、こと「ツナミ」に関しては、思いも複雑だ。せめてもこの言葉が語られるたび、防災意識の啓発につながってもらいたい
▼そもそも〈TSUNAMI〉という言葉を初めて英語で使ったのは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)だという。八雲は、1897年にボストンとロンドンで出版した著作集『仏の畠の落穂』の中の短篇「生神様」で、1854年に和歌山に大津波が押し寄せたとき、濱口五兵衛が数百の稲束に火を放ち、村人全員が高台へ着くまで消火せず、400人以上を救った話を物語にした。八雲自身が神戸時代に遭遇した三陸大津波のニュースから生まれた作品というが、作中の津波の描写は生々しく、いやがうえにも今回の東日本大震災と重なる
▼主人公、濱口五兵衛のモデルは濱口梧陵(1820‐85、通称・儀兵衛)で、時代の先覚者ともいうべき人物だった。稲束の火によって避難場所を示し、多くの命を救ったばかりか、被災後も大堤防を築いたり、学校を建てたり、中央や地方のために尽くした。村の再興にあたっては、たぐいまれな才覚で、災害防止から失業対策、果ては労働意欲向上や節税までを同時に行っている。こうした功績から地元で崇敬され、のちに「濱口大明神」とまで呼ばれた
▼翻って、現代の私たちに必要なのは、こうしたリーダーシップではなかろうか。起きてしまったことは今後の教訓として生かすしかないが、国の再興には確たる指導力が必要だ。しかしどうも、それらしき人物は今のところ、どこにも見当たらない。

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