2011/10/11
胸打つ吉村昭“闘病の記録”
▼津村節子著『紅梅』(文藝春秋)には、夫である作家・吉村昭氏の1年半にわたる闘病と死が、妻と作家両方の視点から硬質で冷静な筆致でつづられている。氏がガンとの闘いの果てに、みずから点滴を外し、従容として死を選んだという衝撃的なニュースは、いまも記憶に新しい。妻でありながら作家でもある著者には言い知れぬ葛藤や相克があり、「小説を書く女なんか最低だ」と自らを責めるくだりには胸を突かれる
▼東日本大震災にからんで、吉村氏の旧作『三陸海岸大津波』が注目を浴びたことは、以前に小欄でも取り上げた。この作品に限らず、氏の徹底した実証主義、現場主義の姿勢は、夫人によるこの小説の中でも再三語られている
▼夫妻が玉川上水べりを歩く場面では、玉川上水が江戸時代初期に全長43キロを1年足らずで掘り割り、その高低差わずか11メートルという世界に誇る大土木工事だったことが紹介される。著者は、三鷹市などから上水を埋め立てる案が出たとき、それを守るために熱心に活動したという
▼多くの死傷者を出した難工事丹那トンネルと黒部の隧道の長編小説2作を書いている夫が、玉川上水の埋め立てをどう思うか、著者には興味があったが、「小説の素材以外のことには関心がなかった」とも書かれている。上水に架かる橋の上から魚の泳ぐのを見るのが好きだったというエピソードが、この壮絶な闘病記録の中で、どこか微笑ましく思えてならなかった。