2014/12/02
異能の人、赤瀬川原平
▼異能の人とは、この人のことを言うのだろう。10月に亡くなった赤瀬川原平氏である。その肩書きをあげれば、前衛美術家、漫画家、イラストレーター、小説家、エッセイスト、写真家と枚挙にいとまがない。戦後の日本美術界に残した存在の大きさをあらためて思う
▼折しも千葉市美術館での個展を間近に控えての訃報だった。「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」と題された今回の個展(23日まで)が、くしくもその足跡をたどる大規模な回顧展となった。その展観に足を運んで、とても一言では言い表せない多様な活動と、その波乱万丈ともいえる濃密な生涯に驚かされた
▼とはいえ、半世紀に及ぶ創作への姿勢はどの仕事にも一貫している。卓抜な観察眼と思考力で平凡な事物や常識をずらし転倒させることにより、見慣れた日常を、ユーモアあふれるアイデアで魅力的なアートに昇華、結実させる。その能力は、まこと生半可なものではない
▼前衛芸術の旗手として頭角を現し、既成の価値観や表現にとらわれないオブジェを発表。「尾辻克彦」のペンネームで小説も執筆し、81年には『父が消えた』で芥川賞を受賞した。エッセーでも「老人力」という流行語を生むなど、話題には事欠かぬ一生だった
▼63年にはさまざまなものを梱包する立体作品と発表。都心でのパフォーマンスを通して、東京五輪を前に急変する社会に疑問の一石を投じた。同年、千円札の片面を原寸大に印刷し、個展の案内状デザインに利用したことが、後に「通貨及び証券模造取締法違反」に問われ、いわゆる「千円札裁判」として世の注目を浴びた
▼98年には自らの歩みについて「やってきたことは一種の落ち穂拾い。落とし物には意外と本音が隠されている」と語っていた赤瀬川氏。ことわざに「棺を覆いて事定まる」とは言うものの、日本の現代美術史で揺るぎない地位を築き、いまなお若い作家たちに影響を与え続ける氏の業績に正当な評価が下されるまでには、まだ時間がかかりそうだ。