コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2014/09/09

関東大震災に見る千葉

▼9月1日の「防災の日」を中心とする防災週間には、ことしも国や各自治体で防災訓練や啓発行事が繰り広げられた。建設業界からも各団体が参加し、各地で精力的に活動した。こうした平時の備えは必ずや災害の防止と被害の軽減につながるに違いない
▼「防災の日」は、1923年9月1日に起きた関東大震災にちなんで60年に制定されたもので、制定以前は、同日行われる行事も震災による犠牲者の慰霊祭が中心だった
▼その関東大震災は関東平野全体に被害を及ぼした。相模トラフ付近のプレート境界型地震で、犠牲者は10万5000人余りに上り、うち約9割が当時の東京市と横浜市での火災による焼死者だった
▼千葉県に限れば犠牲者1346人で、県南部に集中。被害要因も住家全潰によるものが大半で、火災による死者は少ない。県内の死亡率を見ても、人口比で2%を超えた安房郡の北条町、那古町、船形町(いずれも現館山市)が最高だ
▼復元保存された旧川崎銀行千葉支店の建物は、「鞘堂ホール」の名称で現在もコンサートや展覧会などに使用されている。イオニア式の列柱が並ぶ空間は、足を踏み入れる者を、時を超えて荘厳な気分にさせてくれる。部分保存ではとてもこうはいかなかっただろう
▼津波被害はあまり知られていないが、南関東沿岸の広い範囲に津波が押し寄せ、館山では約9mに達したと言われる。ただし津波による死者は、関東大震災の220年前に起きた元禄関東地震(県内犠牲者約6500人の大半が津波による)に比べると極めて少ない。災害は様々な要因によって、被害の形を大きく変えることを物語る
▼関東大震災による地殻変動は房総半島南部で激しく見られた。現在の南房総市では東西4㎞にわたり地表面が上下左右に最大約2mずれた。延命寺断層や瀧川断層と呼ばれている。筆者も以前、館山市の沖ノ島を訪れたことがあるが、元禄関東地震と関東大震災で隆起した断層(海岸段丘)の生々しい迫力に圧倒された覚えがある
▼震災から復興までの間、被災地から一時的に避難する者は多く、東京市の総人口の3分の1(約73万人)に及んだ。このうち約40万人は東京・神奈川以外の関東地方に避難している。千葉県は、被災地であると同時に、震災後の有力な避難先であったことも記憶にとどめておくべきだろう。

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