2014/01/07
おせち料理
▼おせち料理は、今も正月の主役として欠かせない。2014年の幕開けも多くの家庭で盛りだくさんの重箱が広げられたことと思うが、意外やおせちの歴史は浅いと知った。おせちが現在の形になったのは明治以降のことで、伝統の味も変化を繰り返してきた結果という
▼おせち(御節)とは「御節供(おせちく)」の略で、もともとは正月や五節句の膳を指し、重詰めとは別物だった。節句(節日)のうち最も需要なのが正月であるため、正月料理を指すようになった。江戸時代後半には、膳に盛られた料理と重箱の料理が用意され、膳のほうをおせちと呼んだが、次第に両者の融合が進み、明治以降は重箱に詰めるのが一般的になった
▼現在の形が根付くのに呼応して、重箱に入れる品目も増え、内容も賑やかになったが、おせちの名称が定着したのは新しく、昭和40(1965)年ごろだという。とくに第二次世界大戦後に、主婦雑誌などマスコミの情報発信や、百貨店などが見栄えのいい重箱入りのおせちを発売したことが影響して、全国に波及したといわれる。最近では百貨店が料亭などのおせちを販売し、「おせちは買うもの」という人も増えている。食品の保存技術も進み、生ものや珍味のほか、洋風、中華風、和洋折衷など多種多様で、宅配サービスやインターネット販売も珍しくなくなった
▼伝統とは代々受け継がれてきた不変なものと考えがちだが、こと日本の食文化においては、変化の積み重ねが伝統を培ってきたともいえそうだ。伝統の継承には、伝統を守ろうとする力だけでなく、変えようとする力も必要で、その両方の力がなければ、伝統の維持は難しい。変革の力が強まってこそ、保存しようとする力も働くということなのだろう
▼最近目にした京都の料亭が発行する冊子で、料理人さんたちが「なつかしくて新しい趣向に挑戦」とか「ベーシックでお洒落な伝統料理を考案」などと抱負を語っていたが、伝統を守ろうとする人は変化にも敏感であらねばならないと感じさせられる言葉だった。