コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2014/06/03

加曽利貝塚

▼筆者の住む千葉市若葉区の貝塚(あるいは貝塚町)界隈は、その地名のとおり大小の貝塚が集中している。発掘を終えて保存のため埋め戻されたものもあれば、開発によって消えたもの、逆に手つかずのまま地中に眠っているものもある。なかでも有名なのが、桜木8丁目にある加曽利貝塚(縄文時代)だ。その特別史跡指定を目指す動きが本格化している
▼加曽利貝塚は直径130mの環状の北貝塚(縄文時代中期、約5000年前)と長径170mの馬蹄形の南貝塚(同後期、約4000年前)の二つの貝塚が一部重なる形で8の字型に広がる。その存在は明治時代から知られており、人類学者らが人骨などの標本収集のために訪れていたという。学会に初めて紹介されたのは1887年(明治20年)で、1907年には「本邦第一の貝塚」と認められた。北貝塚が1971年、南貝塚が77年に国の史跡に指定され、出土した土器も縄文中期後半の加曽利E式、同後期後半の加曽利B式として編年の指標に位置付けられている
▼両貝塚には貝層断面の観覧施設が整備され、その貝層の嵩を観るたび、営々と続けられてきた人々の営みに圧倒される。史跡内には66年に開館した加曽利貝塚博物館があり、これまでの研究成果が展示されている。ただ、施設はほぼ開館当初のままで老朽化が進んでおり、今年度には特別史跡化をにらんだ耐震改修工事も予定されている
▼貝塚は、かつては単に食べ終わった貝殻を捨てたゴミ捨て場と考えられていたが、その後の調査・研究により、貝が整然と積まれ、遺体も一緒に埋葬されていることなどから、別の意味を持つ場所だったのではないかとも考えられるようになっている
▼市は来年度末にも特別史跡指定の申請をする予定で、それまで休館して、これまでの出土資料を再評価し、より高い価値を示せるよう指定申請に備えるという。〝生きた歴史の教科書〟として子どもの頃から慣れ親しんできた筆者としても、特別史跡指定が実現する日を待ち望んでいる。

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