コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2014/06/17

神社と船の意外な縁

▼「縁は異なもの味なもの」とは本来、男女の縁の場合を言うのだが、広い意味ではこれも縁の不思議と言っていいだろう。神社と船との意外な組み合わせ。横浜港に係留され、今年で完成から84年を迎える貨客船「氷川丸」の船名が、さいたま市の「武蔵一宮氷川神社」に由来することを、最近になって知った
▼片や氷川丸のある山下公園付近は、幼少期を横浜で過ごした筆者にとって思い出の場所であり、片や氷川神社は、やはり幼少期から大宮市(現在の大宮区)の親戚宅に赴いたとき、初詣などに何度か出かけた記憶がある。そんな懐かしい施設に名前を介した関係があるとは思いもよらなかった
▼武蔵一宮氷川神社は、東京都や埼玉県近辺に約200社あるといわれる氷川神社の総本社で、大宮氷川神社とも呼ばれる。江戸時代中期まで見沼という広大な沼のほとりに立ち、見沼の水神をまつっていたと言われる。旧中山道から神社まで2㎞に及ぶ表参道「氷川参道」が南北に延びる。昔からそうだが、立派な参道の割りに、観光客でにぎわうような門前町がないのが不思議なほどだ
▼一方の氷川丸は、1930年にシアトル航路を運航する船として建造され、米国との輸出入の一翼を担い、その接客設備とサービスの優秀さで客船としても名をはせた。当時、日本郵船は看板航路に投入する船に神社の名前を付けていたそうで、その1隻が氷川丸だった。中央階段の手すりには氷川神社の「八雲」の神紋などがあしらわれ、操縦室には氷川神社から勧請された神棚がまつられるなど、氷川神社とのゆかりの深さを示している
▼氷川丸は戦前に造られたものでは唯一現存する貨客船で、現在は博物館船として市の有形文化財の指定を受けている。その長寿ぶりは氷川神社の力が手伝ってのことのようにも思えてくる
▼氷川神社も氷川丸も、その縁をアピールすることで、交流につなげようとする動きが活発化しているそうだ。古い縁が実を結び、交流の輪が広がっていけば、理想的な町おこしにもなるだろう。

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