コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2014/05/12

夏目漱石の署名

▼個人的には極めつけのサプライズだった。大型連休中に箱根へ家族旅行をした折、宿泊した老舗ホテルの部屋が何と文豪・夏目漱石の滞在した部屋だった。チェックインするなり、部屋の壁に飾られた当時のレジスターブック(宿帳)の署名を見て、漱石好きの娘ともども一気にテンションが上がった。100年も前のことではあるが、同じ部屋にかの漱石が泊まったかと思うと感無量だった
▼署名によれば、漱石は1915年(大正4年)11月16日に宿泊、17日に出発している。55号室、K・Natsumeと英語表記されている。本名の夏目金之助での記名だ。並んでZ・Nakamuraの記載があり、漱石はこの友人と同泊した。漱石の年譜を見ると、同年11月9日から16日ごろまで湯河原を訪れており、その帰りにこのホテルに宿泊したと思われる
▼大正4年11月といえば、漱石が翌年12月に死去する約1年前。同年6月から9月までの「道草」の新聞連載を終えて間もない時期にあたる。この頃はリュウマチに苦しみ、その静養も兼ねての旅だった。翌年5月から亡くなる12月まで遺作「明暗」が新聞に連載されたが、その連載前の1月から2月にかけても湯河原を訪れており、漱石は年をまたいでずいぶん短い期間に同じ方面へ最晩年の旅を繰り返している
▼ところで同泊のZ・Nakamuraとは、日本の官僚・実業家・政治家で満州鉄道総裁などを歴任した中村是公(なかむら よしこと、通称・ぜこう)という人物。漱石とは東京大学予備門からの友人で、官僚出身らしからぬ豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格で、「べらんめい総裁」「独眼竜」などの異名をとった。漱石は「ぜこう」と呼び捨て、是公は「金ちゃん」と呼ぶ間柄だった
▼60歳の1927年に漱石と同じ胃潰瘍で死去したが、漱石の「こころ」に登場するKは、是公を含む漱石の親友3人をミックスしてつくられたキャラクターと言われる。筆者にとって思いがけず、1枚のレジスターブックに様々な思いを駆り立てられる旅となった。

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