コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2014/04/08

千葉NT収束に一抹の寂しさ

▼県企業庁と都市再生機構が船橋、白井、印西の3市にまたがる地域で進めてきた千葉ニュータウン事業が、先月末で収束した。1969年の認可から実に45年。かつては千葉県の発展を象徴する事業の一つだったが、度重なる計画変更の果てに多額の赤字を抱えての終息は、やはり時の流れの過酷さを感じさせられる
▼当初の計画では面積2912ha、人口34万人のニュータウンを目指したが、用地買収の難航や経済情勢の変化などに伴い、最終的には1930ha、14万3300人に縮小された。当初は10年で完成させる予定だったが、オイルショックやバブル崩壊、少子高齢化の影響などもあって、結果的に半世紀近くの年月を費やした。事業区域内にはいまだ多くの未利用地が残り、課題山積のままの収束ともいえる
▼もちろん他のニュータウンにはない魅力もある。多摩ニュータウンなどは丘陵を切り崩しての開発だったため、坂が多い地形なのに対し、千葉ニュータウンは平たんな北総台地にあるため、高低が少なく、高齢者などには歩きやすい。事業区域近くには田園地帯が広がり、里山と隣接した自然との共生も楽しめる。今後はこうした利点を生かしたまちづくりを、地域ぐるみで一層進めてほしい
▼個人的な話になるが、今回の終息に一抹の寂しさを感じるのは、筆者が駆け出しの記者の頃、初めての取材を命じられたのが千葉ニュータウンだったからだ。1980年代前半で造成もまだまだ最盛期の感があった。白井地区の入居は始まっていたが、当時開発事務所のあった印西地区は本格的な造成もこれからで、事務所の周囲に目立った建物はほとんどなかったと記憶する
▼取材の目的は厚生対策ビル。土地を提供した地権者たちの厚生対策として、県がニュータウンの各駅前に建設した商業施設ビルだが、いまやそれらの施設の存在は知っていても、建設の経緯まで知る人は少ないのではないか。テナントも当初とはずいぶん変わっていると聞く。こんなところにも、時の移ろいを感じずにはいられない。

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