2014/04/22
胸躍る「こころ」連載
▼文豪・夏目漱石の代表作「こころ」が、朝日新聞紙上に連載されて今年で100年。これを記念して、1914年当時の連載開始日と同じ4月20日から同紙上で再連載が始まった。初出の新聞小説という形で読めば、また新たな魅力を発見できそうでわくわくする
▼漱石は40歳のとき東京帝国大学講師の職をなげうって東京朝日新聞に入社し、約10年間に数々の名作を残した。「こころ」は、49歳で亡くなる2年前に全110回にわたり連載された
▼「こころ」の舞台には千葉県も登場する。作中の下「先生と遺書」の28章から30章にかけてで、先生が友人Kと房州を旅する場面。漱石自身が学生時代の1889年に正岡子規とともにこの地を旅した経験がもとになっており、このとき漱石らは東京から船で保田に上陸し、館山や小湊を経て銚子まで歩いている
▼房総を周遊するその健脚ぶりにも驚かされるが、「こころ」ではとりわけ小湊が印象的に語られ、鯛の浦については、「日蓮の生れた村だとか云う話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二尾磯に打ち上げられていたとかいう言伝えになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです」。当時は遊覧船もなく、先生とKは小舟を雇って沖に出た
▼二人は誕生寺にも立ち寄り、「日蓮の生れた村だから誕生寺と名を付けたものでしょう。立派な伽藍でした」とある。「坊さんというものは案外丁寧なもので、広い立派な座敷へ私達を通して、すぐ会ってくれました」と、住持の印象まで語っている。結局、先生は住持の話に興味が持てなかったが、Kは住持の話に満足し、境内を出ると、しきりに日蓮のことを話したと書かれている。女性問題をめぐる先生とKの気持ちの乖離が如実に現れた部分として、筆者には作中でもかなり重要な個所に思えてならない
▼かくして本県が舞台に登場する点でも興味深い「こころ」の再連載。新聞小説華やかなりし時代の息吹を感じられたら、この上ない幸せというものだ。